天台宗・宝積山・光前寺の歴史は古く、
開山は貞観2年(西暦860年)にさかのぼります。 不動明王を御本尊として、本聖上人によって開かれました。 本聖上人は慈覚大師(円仁)のお弟子さんでした。 古くは武田家、羽柴家の武将の保護を受け、 特に徳川幕府からは、地方寺院としては破格の朱印六十石と、 十万石の大名格を与えられ、学問寺として隆盛をきわめました。 |
かつては信濃五大寺の一つに数えられ、
信濃における天台宗の大寺でした。 信濃五大寺とは「戸隠山、善光寺、更級八幡神宮寺、 佐久津金寺、光前寺」と記されています。 寺領が大きかったばかりでなく学問寺として、 天台密教の修業地としての重要な地位を占めていたのです。 また、霊犬早太郎の伝説が伝えられています。 |
明治以降の廃仏棄釈の政策によって、多くの末寺が廃寺となり、
規模は小さくなりましたが、現在でも県下随一の広さを誇っています。 かつては学問寺にふさわしい山寺で、 本堂の裏から木曽山脈まで続く山々に囲まれた清閑な場に、 仏様と向かい合い、ご先祖様と語り、 また自の心を見つめるにふさわしい所でした。 しかし、近年は訪れる観光客で賑わいを見せています。 |
本堂の近くに、
南信州ではここだけという「三重の塔」が建立されており、
その南に杉の巨木に抱かれるようにして、
小原氏一族の墓があります。 その内に万永元年に建てられた「小原元祖一千年供養塔」の碑があり、 私たちの先祖はその昔、 比叡山のふもと京都は大原の里から、 光前寺建立のためにこの地に移り住み、 村を開いたと言い伝えられています。 ◆早太郎伝説 ◆雪の光前寺 ◆光前寺の夜桜 ◆春の光前寺 ◆光前寺(公式サイト) |