2004年、平成16年の新しい年が始まった。 今年こそは良い年にと願いながらも、急激に変化する社会状勢に、 しばし激流の大河の脇に立ったような思いを感じる。 一歩一歩しっかりと方向を確認しながら、身の丈の速さで歩んでいきたいと思う。 元旦は近年に無くすばらしい日和でした。 前日の雨模様とは打って変わって、おだやかな元日でありました。 大晦日の夜11時頃から光前寺本堂の前で駒ヶ根太鼓奉納の太鼓を打ちました。 二年参りに訪れるたくさんの善男善女の行列の脇に作られた特設ステージ。 高校生が中心の若いパワーに大人が3人、総勢9名。 途中に休息を入れながらも午前2時半まで務めました。 星がとってもきれいな夜でした。 帰宅して床に着いたのは午前4時。 7時には起床して、眩しい初日の出に手を合わせました。 新年の食事、そして光前寺への年賀のご挨拶、朝9時からは光前寺自治会の新年会。 さすがに午後は疲れて、お昼寝を2時間ほどさせていただきました。 それからワンちゃんの散歩。 気持ちの良い、すばらしい天候でした。 3月下旬頃の陽気だったとか、お蔭様でよいお正月が迎えられました。 今年が良い年になりますように、様々なシーンで手を合わせました。 5日6日と東京、千葉に今年最初の出張をした。 年初めは渋滞も少なく、空も晴れて、高層ビルがより高く見えた。 レインボーブリッジから見るフォーターフロントの景色が何時に無く凛々しく見えた。 しかし、私のような信州の人間にとっては、雄大なアルプスの姿がやはり良いと思う。 7日、快晴。家の近くのグランドに今年も「どんど焼き」の準備がなされていた。 一塊に組み合わされた正月飾りや門松、しめなわの中に閉じ込められた、だるま様。 願をかけられて片目を入れられ、1年が過ぎて、もう片方の目を入れてもらった、だるま様。 何を願われたのか、両目を入れられて、しっかりと、空をにらみつけていた。 今年になって快晴の日々が続いている。 こんなに暖かく穏かな日々が続くのもめずらしい。 確かに朝晩はしっかりと冷え込むけれど、日中は陽射しが強く穏かだ。 本家の土手の欅の木が冬の日を浴びてのびやかに揺れている。 駒ヶ根市中沢新河岸川が天竜川に注ぐあたり、 束ねられた藁が田圃に転がされている。 今年は雪が少ない。 10日11日と富山に出張した。 中央道、長野道、上信越自動車道、北陸道とたどったけれど、 心配していた妙高高原付近の雪の少なかった事。 拍子抜けしてしまった。 このまま降らずに春が来るとは思えないけれど、雪の少なさには驚かされた。 17日、朝から雪が舞いだし、やがて本格的な降雪となった。 降らない降らないと言っていたら、やはり時期がくれば降るものだ。 東京も雪だという。久しぶりの雪景色だ。 今日は丸一日、休日にした。 「花と緑のサポーターの会」で懐かしい人に会い、 午後は市役所で「みどりかいぎ」の最後の会議が行われた。 神戸の震災から丸9年がたとうとしている。 18日、朝から快晴、−8度C。 雪はさらさらの粉雪。早朝6時頃から、会社で雪かき。 軽い雪で助かった。日中の日の光はまぶしかった。 夜は伊那市の知人宅でご馳走になった。 そして、19日朝、よもやの再びの降雪。 今度は雨交じりの重たい雪だった。再び早朝6時から雪かき。 カッパを着ての除雪は、日頃の運動不足もあって、少しばかりたいへんでした。 でも、午前中には雪はやみ、昼頃には陽射しも見えて、たいしたことが無くて助かりました。 毎朝かなりの冷え込みの日々が続く。 26日は-12度Cまで下がった。 29日には諏訪湖では、お御渡りが見られたという。 昨年に引き続いてのお御渡りだ。そして、今年の諏訪は「御柱祭」の年だ。 大寒を過ぎて節分まで、一年で一番寒い季節が今しばらく続く。 今年の1月が終わろうとしている。 この一月は、なんだか長く感じられた。 東京、富山、名古屋、東京、東京、と出張した。 激戦の市長選挙があった。 自衛隊のイラク派兵が決まった。 1ドルは105円台が恒常化し、外貨準備高、U.S.A.国債保有高も最高となった。 さらにU.S.A.でのBSE問題、東アジアでの鳥インフルエンザ。 今年も、あっと驚かされるような出来事が、彼方此方で起こりそうな予感がする。 この山の真西は、福井県の敦賀。さらに西へ向かえば、大陸は洛陽、崑崙山脈へと続いている。
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