4月、新たな旅立ちのとき。 厳寒の冬を越え、待ちに待った、光の春。 庭の馬酔木に鈴なりの花が咲いている。まるで光の粒のような可愛い花々 2日午後、市役所南庁舎で「駒ヶ根オープンガーデン」の設立総会が行われた。 駒ヶ根花と緑と水の会が主催した。 約30人が集まった。点から線へ、線から面へ。 この動きは魁として、地域の未来に大きな流れを作っていくことだろう。 4日朝、思いもよらぬ春の雪。車の屋根には8cmほどの積雪。 通勤途中の木々は再び白い花で覆われていた。 さらに川霧が雪景色を暖かく包み込んでいった。 ・・・・・、春に降る雪は淡雪で、昼頃には全て融けて無くなっていった。 7日8日と静岡経由で東京に出張した。 途中の山々は新緑に萌えはじめ、里の桜も山の桜も満開だった。 9日の昼には久しぶりに太鼓を打った。結婚式の祝いの場への出演だった。 里の梅が満開になった。 梅の香が春風に乗ってひろがっていた。 木に花咲く四月。心躍る光の春。 10日日曜日、恒例の苗代作り。 一家総出で140枚足らずの苗箱を苗代に敷設した。 年に一回だけのことゆえ、段取りを思い出しながら、和気藹々と(侃侃諤諤と)進んでいった。 一汗かいて、田圃の土手で取るお茶は、また格別の味がする。 13日14日と東京、長野と出張した。 中央道で東京へ、翌日は関越、上信越道で長野へ。 梅、辛夷、桜、桃、連翹と、日本の春を満喫するドライブだった。 14日夜は長野市で行われた日中友好全国大会に出席した。 時を同じくして発生した、中国における大規模な反日デモ。 日中の友好なくしてアジアの平和はありえず、世界の平和もありえない。 冷静に、大きな心で、高所からの見地で、見守っていきたい。 16日土曜日、昼休みに里を巡って花参り。 あちらこちらに咲く一本桜や桜並木。 このところの気温の上昇に一気に開花が進んだ。 蝶々を見た。ツバメも飛んでいた。 河岸段丘に咲く辛夷(こぶし)の白い花。 雪解けの季節に咲く純白の花。 春の花は、葉より先に花を咲かせるものが多い。美しい北国の春の景色。 信州高遠の桜も満開を迎えている。 伊那市内には今も茅葺の家が数十軒残されているという。 昔ながらの生活に21世紀の風が吹いている。 風土に根ざした、日本人の営みが、此処にはしっかりと受け継がれている。 日ごとに気温が上がって、雨が降るごとに緑は萌える。 我家の池の片隅に咲いた清純な水芭蕉。 一位の木の下に咲いたカタクリの可憐な姿。 例年より遅く咲いたツツジ。 そして光前寺耕地を中心にして植えられた水仙。 百花繚乱の光の春。 北割二区営農組合が中心になって植えた水仙、その数ざっと10万球。 光前寺への参道をはじめ、田圃の土手に次々と咲いていく。 訪れる人々の目を楽しませている。 17日朝、昭和伊南総合病院の春の花壇作りが行われた。 駒ヶ根花と緑と水の会がサポートした。 会員約20名、病院職員約40名が参加しての作業だった。 美しさには人を癒す力がある。 これを足がかりにして、地域の人々と協働して、花と緑の美しい病院としたい。 光の春、厳寒の冬を越えてきた麦が、勢い良く成長している。 まさに青春そのものの力強さを感じる。 青い麦、やがて風に大きく揺れる緑の海を形作る事だろう。 我家の愛犬(コロ)の散歩道は田圃道である。 その道筋で見た、田圃一面に広がるナズナ、ナズナ、ナズナ。 可愛らしい花をたくさんつけて、春だ、春だと、歌っている。 24日(日)快晴。 午前中は出勤をした。 昼には伊那図書館で開催されていたイラストレーター、 大西秀美さんの個展を鑑賞、柔らかい色使いと郷愁を誘うテーマに感激。 初めて大西さんの絵に出合ったのは名古屋の地下街、二度目に出会ったのは新宿高島屋、 三度目にはとうとうご本人様にもお会いできました。 そして、帰途に道草をして、駒ヶ根は中沢の百々目木(どどめき)にある「花桃の里」へ。 その美しさに感激。個人で育て上げた努力に感動。 帰宅後、愛車のタイヤ交換、コロちゃんの散歩、夜は東伊那でお花見と、相変わらずせわしなく、 すばらしい春の一日でした。 29日緑の日、早朝に長男が彼女を連れてきた。 30日、苗代の苗も青々と育っている。 我家の花桃もきれいに咲いている。 今月も忙しかった。毎週東京に行った。8日には静岡にも行った。 21日22日は熱海に行った。29日は名古屋にも行った。 あっちもこっちも春、春、春。 日本全国、「百花繚乱」。 美しい「ガーデンアイランド・日本」の姿が見えてきた。 21世紀、日本を「庭園国家」に。春夏秋冬、四季を通して、世界で一番美しい国にしたい。
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