◆松◆ ◆松◆ ◆松◆
◆ようこそ、PINE HILLへ◆
May 2007

卯月・May・5月

◆春の光前寺界隈◆

5月3日(木)、快晴。前日までの晴れたり曇ったりの天気とは大違い。
爽やかな五月晴れ。そういえば前日は満月だった。
中央アルプスは残雪に輝き、花桃の美しさが花を添えている。



◆菜の花畑と中央アルプス◆

光前寺への参道は「黄色」に彩られている。
沿道に植えられた10万本の水仙、休耕田に植えられた20万本の水仙。
更に、今年は「菜の花」によって黄色い絨毯が敷き詰められた。



◆駒ヶ根高原・高尾市◆

5月4日、会社を休んでGWの貴重な休日にした。
花壇の草取りをしたり、庭をいじったり、
そして、恒例となった駒ヶ根高原は、高尾山の春祭りを見学。
NPO駒ヶ根元気UPの会が行う「高尾市」。
先月長野県議会議員に返り咲いた佐々木議員が発起人となって行っている。
天気が良くて気持ちの良い祭り日和だった。



◆小名浜、照島◆

ゴールデンウィークが空けて、5月7日8日、東京へ出張した。
出張中に、勤務先の前社長、大槻左源次氏の訃報が届いた。享年81歳。
1997年5月31日、脳梗塞で倒れ、半身不随、言語障害。
人の話は理解するも、言葉を組み立て話すことはできなかった。
10年間の闘病生活だった。
葬儀は5月9日、早朝に自宅を訪ね、お顔を拝見し最後の別れ。
火葬場、斎場、葬儀と一気に時が流れて行った。盛大な葬儀だった。
心よりご冥福を祈った。
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そして翌10日、福島県は、いわき市小名浜にて会議で出張。
すばらしい景色のリゾートゴルフ場。
窓の外には太平洋と、海鵜で有名だという照島が望めた。
会議、懇親会、二次会、お定まりのコース、しかし、
小名浜港に近く、うにの生き造り(歩くうに)など、海の幸はすばらしかった。
夜間より雨、風が強く吹き荒れていた。
そして、翌11日、JRいずみ駅の構内で再び訃報が届いた。
伊那市の名物料理「ローメン」の創始者、伊藤和弌氏が亡くなったという。
先日亡くなった大槻左源次氏とは旧知の親友であった。
いわき市といえば、詩人草野心平の生誕の地である。
伊藤和弌氏は戦後の昭和20年代、
草野新平が営む居酒屋「火の車」で働いていたという。
この日、JR常磐線は強風のためにダイヤは激しく乱れ、上野にはなかなか着けなかった。



◆伊藤和弌氏(伊那ローメン創始者)逝く◆

5月11日(金)、信濃町は明治記念館で会議、全国から同業者が集まった。
しかし、伊藤和弌氏の訃報を、中国大陸にいる知人に知らせるべく、東京で奔走した。
中国大使館、新華社にお世話になった。
享年76歳、葬儀は13日の日曜日と決まった。
伊藤和弌氏と中国との関係は深かった。訪中は文化大革命以前から、60回を超える。
その飾らない人柄と、気風の大きさが、多くの友人を育ててきた。
通称「万里のおやじさん」。身長180cm近い大人(たいじん)であった。
「ニイハオ」と「シェーシェ」そして「サイチェン」ほどの中国語しか話さないが、大陸を駆け抜けてきた。
私も1989年と2004年、ともに中国を旅している。
究極のスローフード「ローメン」。
伊那市を中心にして上伊那郡内の飲食店に広がっている。
盛大な葬儀だった。
弔辞は、小坂樫夫伊那市長、向山公人伊那商工会議所会頭が行った。
そして、私が中国から届いた二通の弔辞を代読させていただいた。
心よりご冥福を祈った。



◆水鏡1◆


◆水鏡2◆

空は快晴、水鏡の美しい季節となった。
木に花咲く春を過ぎ、八十八夜を越え、ツバメが悠々と空を飛ぶこの季節。
百花繚乱の季節でもある。
暑からず、寒からず、若葉が日ごとに緑の濃さを増していく。
美しい日本の風景。



◆田植え◆

16日(水)、朝から快晴、そしてモミ播きから一ヶ月。
週末までは待てないという父の強い言葉に従って、急遽田植えとなった。
減反をして4反部、4枚の田圃の入口出口を考えて順番に田を植えていく。
と、ところが、2枚目に入ったところで、な、なんと"ぎっくり腰"。
しばらく田圃の土手に仰向けになって空を見上げた。
しかし、私以外に機械を扱えるものは居らず、
痛みに耐えながら、その後の田植えをすべて行った。
先月末のぎっくり腰は1週間で治った。
今回はちょっと長くかかりそうだ。
やはり、「事前の準備運動無しに大きな荷を背負うことは危険」である。



◆オキナグサ◆


◆サクラソウほか◆

腰痛は続いた。
17日夜、「初夏の歌声喫茶in駒ヶ根」の第一回目の実行委員会を開催。
18日、日帰りで東京出張。夜は大徳原のまちおこしの会議。
19日夜、赤穂高校同窓会総会の実行委員会の引継ぎ会。
20日は休日にして、花壇整備。
21日早朝の気温8度C、寒い。
腰痛は良くなりつつあるも、左骨盤の上層部に激しい痛み。



◆伊藤若沖展(京都・相国寺))◆

23日、大阪での会議のために名古屋までは車で、名古屋からは新幹線に乗った。
途中の京都駅で一時降車。
中京区の相国寺にて、かねてより非常に興味のあった「伊藤若冲展」を鑑賞。
ウィークデーというのに人気の行列、暑い、・・・・・・暑かった。
若冲の日本画は、すごかった。
その色彩と言い、写実と言い、筆遣いと言い、サプライズ、感嘆させられた。
見る価値は大いにあった。
大阪での会議は、西本町のホテルで行われ、全国から集まった同業者で盛大に行われた。
夜の大阪は、日本橋の宗右衛門町のうどん屋さんやショットバーで、食を堪能した。
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翌24日は、中国からの留学生に再会した。
先日、伊藤和弌氏の葬儀に弔辞を送って下さった元研修生の息子さんだ。
この日のスケジュールも忙しかった。
昼前に名古屋に着くも、一旦、車を運転して駒ヶ根に戻り、市民会議に出席。
再び高速バスで名古屋に向かい、名古屋のお取引先と商談。
夜の名古屋は栄にて、岐阜、山形などのご同輩と一緒に、和やかに夜が更けて行った。
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翌25日は東京で会議。
新幹線で品川に向かい、五反田で会議、全国から同業者が集まった。
会議、懇親会、二次会・・・・。
本来ならもう一泊したいところだが、翌日は朝からスケジュールがいっぱい。
新宿発20時の高速バスで駒ヶ根へ、・・・・・・疲れた。
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翌26日は8時から、昭和伊南総合病院のグリーンサポート、花壇整備。
午後は我が家の花壇整備、草取り。
夕方6時からは伊那市にて、伊那谷文明維新塾。
会員25名が、林英臣先生の熱弁に聞き入った。
ご講義終了後、恒例となっている交流会。
伊那市の夜は賑やかに更けていったのでした。
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よく27日は会社に出勤し、出張後の事務処理など、溜まっている仕事をこなす。
そして、一旦帰宅した後、JR飯田線に乗って再び伊那市へ。
夕方には伊那市入船にある「万里の親父さん」のお店で思い出会。
その名も「屋台」、入口には「ローメン発祥の地」の石碑が建つ食堂だ。
気のあった仲間が集い、思い出に花が咲き、残された者たちが、故人を語り合った。
伊那市長や、副市長、農事組合長や、支局長、夫婦同伴の方々も多かった。
改めて「万里の親父さん」の人柄を偲んだのだった。
伊那市入船の夜は、和やかな時が過ぎていったのでした。
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果たして、重なるときは重なるものです。
大阪、名古屋、東京、伊那、伊那と連日連夜、酒を飲み交わし、懇親を深め、
わが腰痛の痛みは無くなるも、左骨盤の上層部の痛みは治まらず、5月も月末を迎えるのでした。



◆中央アルプスと雪型◆

中央アルプスの残雪は雪形を作り、
「島田娘」や「種まき爺」の姿も見られるようになりました。
30日夜は駒ヶ根ともしび歌声喫茶実行委員会。
そして、31日は、諏訪湖温泉で会議。
再び全国から人が集まり、総勢200名、会議、講演、交流会、懇親会。
諏訪の夜は賑やかに過ぎていったのでした。
ふう・・・・・・。




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