山の紅葉がしだいしだいに里に下りてきました。
毎日毎日晴天の日が続いています。もう一月近くも雨らしい雨は降っていません。
今年は柿の実がいっぱいなりました。
乾燥した大気が赤く染まった楓を揺らしています。
(1997/11/2)
家の近くの唐松林も紅葉をはじめました。
連日の快晴に答えるかのように見事に装いを変えていきます。
燃える秋。
真っ青な空に錦の山々。
豊かな実りの季節。
秋は、やがて来る白い世界を知るがゆえに、美しく、悲しく、心に響くのでしょうか。
(1997/11/2)
おや、何の香りだろう?
ふと足を止めて、辺りを見回すと柊(ひいらぎ)にクリーム色の小さな花。
甘い香りが秋の陽射しに踊っています。
一年中、緑の葉の間に、今かわいらしい小さな花をいっぱい付けています。
柊、尖った針のような刺を持つ葉っぱの木。
やがて来るクリスマスのリースによく使われる木。
日本でも魔除けとして使われています。
強い木ですが、花が咲くときが一番かわいいね。
(1997/11/9)
真っ赤な実をいっぱい付けたニシキギ。
実も真っ赤ならば、葉っぱも真っ赤です。
木の幹にひれのような翼があります。
植物は環境条件が厳しいほど、花をたくさん咲かせ、結実させるといいます。
子孫を残すために懸命なのです。
人間もお金持ちの家の子は道楽に走り、
貧しい家の子がおうおうにして、堅実に生きることに似ています。
ともあれ、秋は美しく深まっていきます。
(1997/11/9)
九月には真っ青だった蓮も幾度かの霜に会い、茶色く朽ち果てています。
あんなに大きな葉っぱを広げ、池の水面が見えないほど勢いがよかったのに、
今の姿を見ると、ものの哀れを感じます。
でも、泥の中にはしっかりと養分を貯えた地下茎が眠り、
やがて来る冬に備え、また来る春を待っているのです。
春夏秋冬、この地にある生き物は、好むと好まざるとに関わらず、
自然の大きな流れに沿って生きています。
人間も自然の流れの中に生きられたらいいのにと思います。
たとえ理不尽なことがあるにせよ、それが自然の成り行きというものかもしれません。
(1997/11/9)
天候不順といわれた夏と異なり、今年の秋は晴天続きでした。
かえって水不足で大根の種まきをいつにするか困るほどでした。
それでも、よくしたもので、お蔭様で豊作の秋を迎えました。
やはり、お天道様の力が一番です。
様々な自家用野菜が食卓に並びました。
漬けたり、煮たり、サラダになったり。
爺ちゃんと婆ちゃんのおかげです。
(1997/11/23)
お米の減反、休耕、作物の転作。
世の中で要らないという物を作ってみても仕方が無いとはいえ、
お米に頼ってきた日本農業。
それでは他に何を作ろうかと考えても、なかなかそれに変わる物はなく、
零細農家は家庭菜園の面積を広げ、親戚や知人に配ってお金にはならないのが現実です。
丹精込めて作っても、市場に出して商品化するには更に手間も箱代もかかります。
中途半端な数量では商品化もできません。
せめて、畑を荒らさないように豆や蕎麦を作ってみるだけです。
でも、手足を使い自然を相手にする崇高な仕事ではあります。
(1997/11/23)
今年は柿がたくさんなりました。
1年ごとに当たり年とうらなりの年を繰り返します。
渋柿は皮を剥いて干し柿にします。
天日に干すと渋が抜けて甘い柿になります。
伊那谷では下伊那の「市田柿」が有名です。
柿は「医者要らず」でビタミンが豊富で、風邪の予防に良い健康食品です。
私はカリカリした歯ごたえの柿も熟した柿も大好きです。
(1997/11/23)
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