◆松◆ ◆松◆ ◆松◆
◆ようこそ、PINE HILLへ◆
December/2005

師走・December・12月

◆早朝の中央アルプス◆

12月1日早朝、中央アルプスは神々しく黄金色に輝いていた。
日の出からのわずかな時間だ。
気温はマイナス2度C。
天空の神々が地上に織り成す束の間の美的演出。



◆積雪の畑◆

12月2日、会議のために東京に出張。
久しぶりのメンバーに再会した。
交わす会話のなかに、この一年の時代の変化が感じられた。
翌3日、午後一で信州に戻り、飯島町七久保千人塚湖畔の喫茶店を会場にして、
バイオリンとピアノのコンサートを堪能した。
薪ストーブに木の椅子、観客は30人余り。
贅沢な時間が流れていった。
その夜は職場の忘年会。
戸外は寒風が吹き、やがて空は冬の雲に覆われ、翌4日は雪。
里での初雪となった。
この日より例年に無く寒い12月が始まっていった。



◆白い山◆

4日から3日間、静岡や浜松に出向いた。
太平洋側の快晴の青空と、雪の日本海側の差を見せ付けられた気がした。
名古屋は12月としては記録的な(58年ぶり?)降雪に見舞われ交通が麻痺した。



◆雪の日の翌日の朝◆

この12月は西日本各地で稀に見る降雪に見舞われた。
しかし、ここ伊那谷の上伊那地方では、お蔭様でたいした降雪はなかった。
冬型の気圧配置が強まれば強まるほど、ここは快晴の日々が続く。
しかし寒い。連日氷点下5度、8度、時に10度以下の気温が続いている。



◆赤い実◆

連日の寒さの中で、建築における構造計算偽装事件が全国を飛び交った。
ここ駒ヶ根や伊那市でも関係するホテルが休業に追い込まれた。
建築士、公認会計士、弁護士、教師、医師、看護師、「士」とか「師」という方々には、
哲学を持って頑張って欲しいと思う。
この寒風の中、見事に結実した真赤な実。



◆冬の中央アルプス◆

15日16日と東京に出張。
都会の師走、激しい渋滞の中、車と時間をぬって得意先をまわった。
夜は久しぶりに新宿の歌声喫茶に出かけた。
口を大きく開けて、お腹のそこから大きな声を出す。
みんなで歌えば楽しさ倍増。
「音楽」や「合唱」、歌の力を実感する会場だ。
その後、年内に閉店するというお店に顔を出す。
そこには、様々な人生が行き交う都会の夜があった。



◆南アルプス塩見岳◆

17日夜、東伊那の故郷の家、シルクミュージアムで囲炉裏端塾。
「花と緑と水の会」と「健康の駅」、来年は連携が期待されている。
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この夜、太鼓の若きメンバーを交通事故で失った。
この春、高校を卒業した18歳、即死だったという。
我が子と一緒に、小学校低学年からその成長を見つめてきた。
元気な姿が、将来が、楽しみな子だった。・・・・涙が溢れた。
「シートベルトさえしていれば助かったのに・・・」と悔やまれる。
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(南アルプスの貴婦人「塩見岳」の残照)



◆PINE HILLと中央アルプス◆

20日忘年会、21日から23日まで静岡。
名古屋など中京圏に降った雪に泣かされた。
27日28日、今年度最後の東京への出張。
連日寒い日々が続いている。
今年度は何人かの大切な人々が、この世を辞していった。
病に倒れた人々も多かった。
良い事の少ない年だった。
そんな中で、二男が国立大学に推薦入試で合格した。
嬉しい出来事だった。



◆大晦日の中央アルプス◆

12月31日天気は快晴。穏かな大晦日を迎えた。
前日の30日まで勤務。
その晩から年賀状を書き始めた。
結局、大晦日の午前中までかかって、約300枚の年賀状を書き終えた。
それから「お年取り」の準備やら、新年を迎える準備。
長男は松本でアルバイトの為、帰宅はできなかった。
携帯電話で長男と話しながら、平安のうちにお年取りが行えた。
そして大晦日の夜は、恒例となった「光前寺」に駒ヶ根太鼓を奉納した。



「近況報告です。今年も多忙な一年でした。「今」という時代の流れと、「50代」 という年代からくる忙しさでしょうか。私が長野県外に出向いたのは143日。 丸まる一日の休日は30日。公私共に多用な一年でした。年々厳しくなる業界において、 お陰様で勤務先の営業実績はほぼ前年並みを確保できましたが、この先何が起こるか わからない時代です。そして、6年間続けた千葉市での新事業は8月末日を持って 整理致しました。一方、伊南3市町村での合併の取り組みは2月の住民投票で否決 されました。が、引き続き「創造と改革へのまちづくり推進市民会議」委員として、 あるいは「健康の駅」囲炉裏端塾塾生として、「新エネルギービジョン策定委員」等で、 その後の市政への提言をさせていただいております。また、「駒ヶ根花と緑と水の会」 では事務局長として、駒ヶ根オープンガーデン、昭和伊南総合病院のグリーンサポート など、微力ながら活動しております。さらに「駒ヶ根太鼓」出演部では駒ヶ根市観光 キャンペーンにてヤマハスタジアムや大江戸温泉物語等で笛や太鼓を打たせて 頂きました。さらにまた伊那日中友好協会では副事務局長をおおせつかり、一方で 年末には伊那谷文明維新塾の事務局をおおせつかりました。  今、日本人のアイデンティティーが問われています。日頃より若い衆には「日本史に 名を残すのか、世界史に名を残すのかの時代」だと息巻いてもおりますが、何はともあれ 元気にこの一年過ごさせていただきました。これからも精一杯この時代を駆け抜けて いこうと思っています。日頃のご好意に感謝するとともに、健康で元気に過ごされん 事を祈念して、それでは皆様、今年もよい年になりますように。」




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